ハッピーライフのはじまりⅠ

【2009/04/08】

 昨日は三日早い誕生日祝いをして貰いました。花束をふたつ頂きました。空は雲一点もない春が終日までありました。夜には満月と見ゆる明るい月が皓々と中天に輝いていました。勿論雲は一つもありませんでした。

 空は晴れ渡っていました。夜の小さな砂浜で、海はあまりにも穏やかでした。寄するさざ波の音がとても懐かしく思われました。此処で実験だよとある呪文を唱えました。するとそれまで感じられなかった風を感じました。しばらくすると、新たな風が吹いてくるのでした。波音が明確にするのです。波と話すこともあるんだよ。人間も波も風も同じだよ。

 風は空体、即ち魂かも知れないね。呪文を唱えると応えてくれるのだろうか。そういうこともあるのかも知れない。声を聞いて、そこにいたのかと集まってきて挨拶しているのかも知れない。何かあったらいつでも助けるよとばかりに。

 あるところで美しい景色の中、満開の櫻で花見をさせて貰いました。櫻を俯瞰すると面白いですね。一つひとつの花ではなく、ひとまとまりの花の房が一つの花に見えて、それらが集まり見事な花でした。

 祝ってくれたのは、若いカップルでした。二年後に結婚するからと、結婚式場を見学するのを同行させて頂きました。広島港の突端にあるホテルでした。チャペルから宴会場まで案内して頂き、

その説明はとても快く、幸せ気分いっぱいでした。なんだかハッピーなことが日々実現しつつあります。

ハッピーライフの始まりです。

 笑みがこぼれてくるのです。何の心配もないのです。ないのにあると思う自分がありますね。それを捨て去れば満ちてくるものがあります。それが幸せでした。

 始まりですね。 すべてにありがとう。ありがとうは秘密の言葉でした。何故でしょうね。潜在意識にとって主語はありません。ありがとうは自分に対しても機能します。

 ポジティブ思考でいいのです。幸せになりましょうね。それは見出されました。人生楽しく生きてゆけるのです。それを拒んでいたのは自分自身でした。それより自由となるのです。それは出来るのでした。

 彼は何を乗り越えたのでしょうか。 そして何を獲たのでしょうか。自分を乗り越えて、自由を獲たのでしょうか。自由こそ、幸せでした。 何をも怖れることはないのです。それはなかったのです。ないのにあると思っていた自分があったのです。それを乗り越えるのです。それが心構えの確立でした。あるいはあるべき人柄です。それは本来の自分自身に気づくことだったのです。

 それは持って生まれた自分自身でした。それを見つけて、この世の人生でした。その時、何を表現しても良いのです。それがこの世で生きるということでした。幸せになりましょうね。それは見つかりました。

 ところで、ある休憩所で食事をみんなでしました。頂いたのは特製カツ丼です。そして日付は4月8日。お釈迦様ご生誕の日です。今日は特別な日だからと、甘茶を頂きました。

 そして時代は気づいたのでしょうか。しばらく忘れ去られていた彼の存在に。彼は生きていたのです。失っていた自信を取り戻したのでしょうか。この世では解決できないであろうと思われた試練に耐えたらしいのです。そしてあらゆる謎を解いたといいます。それは何だったのでしょうね。もはや新たな謎となったのでしょうか。知る人は知っているといいます。もう咲かないのかと思われた櫻の花が咲きました。日本の花でした。誰もが喜んでいます。日本が喜んでいます。

 彼は探していました。何を探していたのでしょうか。それは見つかったといっていました。そしていうのです。日本は大丈夫だよ。日本はやはり日本でした。彼はやはり彼でした。かつて彼を害した方々は悔いているのでしょうか。そうかも知れませんね。古来大和の秘密があります。掟があったのです。

 自覚するまでは明らかとならないものがありました。それが試練でした。彼は見事に耐えました。そして咲いたのです。今年の春こそ本当のようです。事実となりました。それは昭和50年あるいは56年の春の予定でした。しかし時の悪戯がありました。 彼はいいます。これからとこれまでは違う。明快明白。ある意味で容赦しない。

   素直さを取り戻して也櫻咲く