子供たちの反発原因は何だったのか


2013年11月02日


  • 生徒が教師に反発するようになるまでにその子をその教師が見限っていなかったか。それまでの問題行動がサインだったのにそれを見捨てていなかったか。子供たちが何を求めていたのだったか。愛だった。そしていつか子供たちが反逆し、その子供は悪に走る。執拗に教師に対して反発する。そうなってからでも解決はある。子供たちの気持ちを理解すればいい。あやまるべきは、意識において見限り、結果見捨てられた子供たちに対してである。原因は何か。それを除去すればいい。そうすればその子供たちも本来の人間の愛と自由に目覚める。生徒指導とはそれである。勉強を教えるのはいい点を取るためだけにしているのではなかったのである。勉強できない子供たちはわからないままに日々苦しんでいる。勉強ができなくても易易と生きてゆけるのに、少なくとも教師はそう思っていなかったのではないか。そして悪い子に追い込んでいたのではなかったか。こうした実体に気づけば自ずから方法が見つかるだろう。


何故子供たちが苦しむのか


2013年11月02日


  • 孤高の精神を如何にして構築するのだったろうか。それが塔だったのである。あらゆる塔はその表現だった。どのような塔であるのだったか。各各の問題である。それにしては殺伐とした愚かさの支配する世の中である。どうしてこのようなことになったのだろうって思う。本来の日本精神はどのようであったのだったか。柔道界が腐敗した。何故だろうね。お金の価値を間違えていたからだろうか。儲ければいいのだったのだろうか。得すれば良かったのか。全て失って見えてくるものがある。放てば手にみてりである。そうしたことが見失われている。本来、日本にはそれがあった。武士道もその一つだった。見直す必要があるのではないか。特にテレビ界を見てそう思われる。これでいいのだろうか。これで未来は明るいのだろうか。どうすればいいのだろうね。ありのままの自分で生きることができるということをもう一度確認すればいい。子供たちの中に勉強ができない子が多い。授業を聞いてもわからない。わからないまま時が過ぎていく。そのような心境を共感しよう。そして告げる。そのままでいいのだ、と。わからなくてもいいのだ、と。そのように生まれているということがどういうことなのか。それが必要ではない時代となったということである。これがわからないから、自暴自棄となる。あるいは問題行動に走り、あるいは不登校になっているのではないのか。その必要はない。そのままで易々と生きてゆけるのである。これを子供たちに個別に理解させることができれば、少なくとも子供たちは問題行動を避けるようになる。どうしてしかられているのかもわかる。それがわからないままに子供たちは日々の学校生活を送っている。苦しいに決まっている。そこより逃れる方法を知らないままに。先ず教師が学ぶべきはこの現実ではないだろうか。勉強ができる人はすればいい。できない人はできないでいい。どちらが幸せかわからない。わからないから問題行動に走る。あるいは閉じこもる。そうしないと存在自体を保てなくなっているからである。理解すればいい。必ず解決がある。そのために勉強している。テストでいい点を取るためだけに勉強しているのではない。問題行動に走れば、新たな原因を作る。不登校もそうである。そのままでいいのである。何故、そのままでいいことがわからないのだろうか。大人がわかっていないから、子供もわからない。幸せになるために生まれている。幸せになるために勉強している。幸せになるために学校がある。何故子供たちは苦しむのか。その理由がわかったような気がする。