学ぶべきは
2013年11月02日
- 学ぶべきは何だったのか。偉大な精神だった。それより創造力が発する。おもしろければいいのであるか。子供たちはそう思っている。そして学校教育が破壊された。子供たちが本当に求めていたものは何だったのか。決して馬鹿になることが幸せであるということではなかった。子供たちが求めていたのは、生まれたそのままで易々と生きてゆけるという確信だった。それが揺らいでいたのである。勉強がわからない子供たちが多くなっている。彼らは社会において未来に夢を描けない。そして様々な意義がわからなくなっている。それを一から一つ一つ段階を追って論理的に教えていくことで、彼らは理解する。まさにユニバーサルデザインとはそれだったのである。しかしそうしたわからない子供たちをターゲットにし、支配の構造である恐怖と欲望をあおることによって利益を追求してきた大人社会があった。世界は軽薄を好まない。世界が待っていたものは何だったのか。新しい時代を生きるパラダイムだった。いろいろな学問がある。それぞれの学問を通して何を学ぶのだったのであるか。明らかとなった。
国境
2013年11月02日
- 確かに音楽に国境はない。しかし、国境はある。影響力のあるタレントの発言は庶民を惑わす力が十分にある。惑わされないことだ。何をしても自由なのではない。他に迷惑をかけないことを以て自由である。他に迷惑をかけることが悪の基準である。善とは何だろうか。ただ迷惑をかけないことではない。他に喜びを与えることを以て善とする。喜び世界を創造する段階に至った。まず日本から始めよう。歴代の英知と蓄積された技術を結集して。そしてそれを世界に発信するのである。利益追求及び市場主義でおかしくなった。ペリー来航は軍事的市場開放請求だった。明治は世界の潮流に従った。その結末が第二次世界大戦だった。本当に反省するのだったろうか。反省とはあやまるだけでは足りない。二度と同じ間違いをしないことだった。そしてさらに、新たな視点を見つけて、それをこの世に実現することだった。ここに日本は本当に反省することになったのである。殺戮による版図拡大の時代は終わっている。だれもが自由に喜びの日々を送れる世界を創造することができる段階となった。それに気づくべきである。一部の階層の利益は他を犠牲にしていないか。それでは幸せはない。だれもが幸せとなってその中の自分も幸せである。大企業も嘘が多くなった。それでどうなるのだろうね。気づいたところから始めよう。それが一隅を照らすということである。国境はある。先ず国内において実現しよう。それを世界に提供するのである。何を広めるのだったか。愛と自由と平和である。それが人類としての願いであり、祈りだった。諸価値が日本において結実している。
それだけのことだった
2013年11月06日
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2013年11月06日 04時19分51秒 | Weblog