そうだったなんて
2013年11月01日
- そしてそうだったなんて。早く気づけば良かった。早く教えてくれると良かったのにって思ったりする。教えられていた。いつまでも気づけないのは自分だった。器を用意する必要があった。宝は取り放題である。汝、とって服すべし。大器は晩成する。麦は踏めば踏むほど育つ。火裏蓮ということもある。枯れ木に花が咲く。人間は偉大だね。だれにもそれはある。因って平等である。等正覚である。個人の尊厳がある。日本は目覚めた。いい時代だね。これで生きてゆけばいい。だれもが幸せとなることができる時代となっている。心次第だよ。嘆きと悲しみの時代は終わる。ジャズがいいね。そこに何を感じるのだったろうか。生きる喜びだった。悲しい歌しか歌えない時代があった。茶色い戦争もあった。通らねばならなかったのだった。そして恐怖の支配から逃れることができる。
そのままの
2013年11月01日
- そして測り知れない守護もある。ありがたいことである。すべてに感謝する頃となった。自分で良かったのである。そのままの。
宿命
2013年11月01日
- あなたはいつか目覚める。そして復活する。鮮やかに。もうその花は咲かないのかと思われた。花はどこへ。しかしそれも宿命だった。いつか咲くのだった。そして咲いた。一輪の大輪の花である。咲いて知る。それまでわからない。
君子危うきに近寄らず
2013年11月01日
- しかし現実は厳しいね。世間が見えなかった。何を期待していたのだろうか。困苦には理由がある。原因がある。それに気づけばいいのだった。君子危うきに近寄らず。困苦の原因を作らないことだ。そうすれば楽に生きてゆけるよ。善良であればいい。小鳥には日々の食事が与えられている。地球は回っている。
輝く私たちの未来へ
2013年10月31日
- どのようにして至るのだったか。このようにして至る。どのようにして輝くのだったか。このようにして輝く。どのようにして探すのだったか。このようにして探す。どのようにして見つけるのだったか。このようにして見つける。どのようにして確認するのだったか。このようにして確認する。何を探すのだったか。真実である。何と出遭うのだったか。神仏である。神仏は実在する。それが真実だった。人間の未来と可能性はこれだった。それはすでに四聖がみつけていたものだった。それらが庶民に開放される。それが21世紀の約束だったのである。未来が明らかとなった。恐怖による支配が終わるのである。だれもが幸せとなるのである。生命体としての進化傾向がある。これに反すれば淘汰される。絶対専制君主もそうだった。他を犠牲にして未来はない。多様性の中で個性が輝く。多様性とはみんな違っていていいということだった。あらゆるパラダイムが陳腐化している。そして新たなパラダイムが形成される。この混沌を生き抜こう。やがて夜が明ける。だれにも太陽の光が降り注ぐ。私たちは生きている。幸せになるために生まれている。幸せとは何だったのだろう。それも明らかとなった。何もかも明らかとなった。新しい時代である。確かに始まっている。既存の学習システムで勉強ができなかったとしても易々と生きてゆけるのである。だからいじめなんて要らない。君たちも生きてゆける。野蛮から脱却しよう。野蛮とは、嘘とバイオレンスだった。支配構造が変わるよ。私たち庶民の時代である。自己利益追求及び市場主義原理が限界に達した。それでは幸せはない。悩みと苦しみしかない。それは終わったのである。幸せはある。それが見つかった。ここより始めるがいい。人類はここまで進化した。神としての七つの力が賦与されていた。それは大自然及び宇宙が稽首する。未来は私たちにかかっている。殺戮の歴史も終わりを告げるのである。いつまでも武力による版図拡大の時代ではない。そして世界が一つの理念のもとに結集する。統合される。愛と平和と自由の世界が実現する。それを拒む勢力がある。それに対してはどうなるのだろうね。信じていいよ。恐竜は恐竜で幸せを求めていた。それも生命体としての大実験だった。しかし、チラノザウルスが現れて滅んだ。原因は巨大隕石の落下だったろうか。それはどうでもいい。人類が滅んでも地球は痛くもかゆくもない。宇宙線は放射線である。光が降り注いでいる。その方へ進めばいい。私たちは生かされている。未来は私たちの責任段階に達した。何を言っているかわかりますか。全体の趣旨より勘案されたい。いつか私たちは夢を実現する。それは何だったのだろうか。人類の祈りとしての夢がある。創造しようではないか。その時が来たのである。さぁ、旅立とう。輝く私たちの未来へ。
人生とは喜びである
2013年10月31日
- 人生とは喜びである。いつかベートーベンもそこに至った。それまでは苦悩だった。釈迦は修業時代に一日に一粒の米しか食せずに坐り、骨と皮になるまで苦行した。しかしそれで悟ることはできなかった。無駄な努力はそれが無駄であることに気づくためにある。無駄は無駄であり、駄目は駄目である。それで釈迦はそれに気づき、村の娘からの乳粥をすすって元気をとりもどし、改めて安楽に坐り直した。そして新たに意を決して、悟るまで立ち上がらないことにした。やがて明けの明星が輝くのを見て悟った。それは自分であると。そのようにして中道を得た。そして言った。苦行はしなくていい。中道より始めればいい。定理はだれかが証明すれば誰もが使うことができる。それが法則である。水が必要な土地に水を供給するのに、ある人は毎日桶で運んだ。もう一人の人はシステムを作った。すなわち水道だった。どちらがいいのだったか。後者がビジネスの考えである。嘘とバイオレンスがビジネスではない。お金は他に満足する便益を与えたサービスへの対価である。それが仕事である。他を犠牲にして利益することが仕事ではない。それは搾取でしかない。それは反省されている。自然を破壊して独占的な利益を得るなど、以ての外であろう。世の支配者階層は大反省を要する。さて民主主義及び人間の諸権利がある。これは人類にとって普遍的な価値がある。日本は戦争に負けてそれを学んだ。そして育んだ。世界で今、自由及び平等並びに平和主義が最も徹底しているのは日本である。それらは日本に伝えられ、結実する約束だった。仏法もそうだった。しかし、そのために悲しい代償もあった。それを乗り越えて幸せの土台がやっとできたのである。その間、勘違いもあった。それで時代精神が混沌としている。それもやがて固まるだろう。そしてだれもが幸せの個々の花を咲かせるだろう。その時、喜びを知る。私たちは幸せになるために生まれていたことを知る。それは生まれたままの自分で良かったことに気づく。自然の中でともに愛し愛される関係が成立している。そうすればいじめもなくなるだろう。そうした未来が見えている。目標が定まったようだ。後は全速力前進でいい。豊かな個人主義の花が個々に咲いて、小鳥は歌うだろう。日本が世界から託されていたのはこれだったのである。その約束が果たされた。世界に発信しよう。愛の園、日本を。野蛮な戦争なんかしなくていいみんな生きてゆける喜び世界を創造しよう。