頭脳は脳波だった

2012年09月17日

『頭脳とポンキン』というのもあっただろうか。頭脳は脳波だった。それが愛であった。慈悲だった。アガペだった。動植物および岩石も喜ぶかどうか。私たち人間は万物の霊長として、神の七つの力も賦与されていた。それを何に使うのだったのか。試されていたのはそれだった。儲けることではなかった。それでこの世はおかしくなった。愛と平和。求めるべきはそれだった。私たちは幸せになるために生まれている。巧妙な一部の支配があった。そして貧富の差が拡大し、固定化された。多くの庶民の願いが塞き止められている。塞き止めていた巨大な岩石もいつか粉砕される。そして、水が流れ始める。その時が来たのだろうか。かつてそれは、ギロチンだった。頭脳は脳波だった。それは、宇宙に届く。そして、宇宙がそれを生成する。何を思い描くのであるか。誰の思念が勝つのであるか。一部セレブの巧妙な支配が終わろうとしているのだろうか。犠牲の上に庶民の願いを顧みず、生命および自然を破壊して、庶民に対しては朝三暮四を以て支配し、自分たちだけの利益を追求した時代があった、といつか歴史に書かれるのだろうか。虐げられた者たちは幸いである。次の世はあなた方の時代だ。
 

喜び

2012年09月17日

人生はいつか喜びとなる。私たちは幸せになるために生まれていた。世界はすばらしい。自然は楽しく、風は心地よく吹いてきて、日月がやさしく微笑む。木々は光を浴びて、花が咲き、小鳥が傍に来て明るくさえずり、アオサギが挨拶して飛んでいく。好ましい人間関係が訪れて、かくも、この世は美しい。これが自由だった。神仏が伝えたかったことだった。個人の尊厳、いつか解き放たれて、大空を舞う。神仏の理念の一部を利用して個々の人間を支配することはできない。それが巧妙なカルトだった。個々の人間が求めていたものは、自由だった。それが隻手の音を聞くということだった。改めて、人間解放の時である。再び、自然に帰れ。庶民解放の時である。庶民とは、善良な市民である。それは、市民解放、奴隷解放、女性解放の次に来る。旧約聖書に秘められていた。旧約聖書続編は今も、編纂続行中である。ガウディの城は今も、建設中である。