何をしてきたのだろうね
2012年10月07日
公害があった。その頃、海では頭と骨と皮だけのお化けハゼが釣れていた。ある海岸では、貝が死滅し、ネズミに腫瘍が出来た。猫にも腫瘍が出来た頃、その川及び海岸は埋め立てられた。また、コノシロの鱗がはがれ、血が出ていた。背骨は曲がり、尾びれ・背びれは一部溶けていた。そして、海岸では緑色のゴカイが居た。下腹部はどろどろに溶けていた。それでも生きていた。そして工場の煙突からは、水蒸気だけが排出されるようになって、公害は克服されたかに見える。しかし、それは埋め立てられただけだった。その自然に対する損失に対して、人類は償っていない。計上されていない損失である。そしていつまでも、その責任を認めようとしなかった。それで、受忍限度論及び疫学的証明責任の転換理論があった。銀行に於いては、仮登記担保及び譲渡担保があった。それが知恵だった。経済活動の名を以て何をしてきたのだろう。病院も病気のデパートとなっていた時代があった。それで、薬局が分離された。病床も制限された。あらゆる資格は、独占のためとなっている。何かがおかしい。それが生きることだったのか。そしてどうなったか。ADHD及びLD等、あまりにも障害児童が多い。
総選挙の争点は原発となった
2012年10月06日
フリーエネルギーについて、いくらか情報が庶民階級にも流れている昨今、電力会社の利益のために、その独占を維持することが善いのかどうか。関連企業だけが利益を享受している。費用はすべて庶民から吸い上げる。それがシステムであるか。いつまでも庶民を奴隷に出来ない。原発について、民主党が立場を明らかにした。これでいつ総選挙があっても戦えるのだろうね。国民の判断は、原発推進か否かとなった。フリーエネルギー及びUFOの推進力をいつか人類も学ぶこととなる。あらゆるシステムが陳腐化する。原発推進は原子力村の利益でしかない。既存利益固執はいつかギロチンの露となる。
ナホトカ号のテトラ船首
2012年10月15日
日本海でナホトカ号が重油流出事故を起こし、その時、日本の青年によるボランティアが発祥した。ある本によると、こうしたボランティアとオームとは同根であるとする。つまり、現代青年は、生きる意味を失っていて、それを何かに求めている。その現れとして、一つはボランティアであり、一つがオームだった。しかし、結果に於いて、あまりにも明暗が激しい。いずれにしても、日本人は何かを求めている。それが失われている。戦後日本精神骨抜き占領政策の故とするところである。しかし、さらに明治維新にそれがあったのではないか。それまでの諸価値をすべて破壊したのではなかったか。それも、もはやどうでもいい。私たちは、新しい時代のあるべき姿を模索している。少なくともそれは、テレビ界のそれではない。浮かれた時代があった。金ぴか先生もいた。ナホトカ号のテトラ船首は最終的に呉市川原石港に曳航された。そして江田島で解体された。
中国経済失速
2012年10月15日
中国経済高度成長率が失速した。諸般の事情による。これで、中国は対外的に高飛車に出ることが出来なくなった。エチオピアの経済成長率は、長年10%を越えている。しかし今も尚、貧困な国家である。次はアフリカである。国際関係に於いて勘違いの中国は、内省的に困難な時代となるのだろうか。独裁及び専制主義は、国際社会に於いて既に克服されている。中国がチベットの独立を容認できない理由がある。それは何であるか。新疆ウィグル地区を公表できない。余りにも危うい。
北朝鮮
2012年10月15日
北朝鮮がテポドンを発射実験した時だった。最前線には、海上保安庁の巡視船が集結した。その背後の日本海に、自衛隊の護衛艦が集結していた。さらに、太平洋沿岸には、アメリカ第七艦隊が集結していた。それほど緊張していた。故に北朝鮮のミサイルは悉く、遠くに飛ばすことができなくなって、すべて近海に墜ちた。また、北朝鮮の工作船を自衛隊の護衛艦が威嚇砲撃したことがあった。その時、見事に命中させなかった。撃沈しようと思えば出来た。どう評価するべきであるか。