若者が時代を変える
20世紀の知性といわれた人にポール・ヴァレリィがいました。かつて小林秀雄氏も憧れた人です。ヴァレリィはいいました。「私は生きた。愛した。書いた」。人生とはそうしたものだったのです。
知識がいくらあっても、それが智慧とならない限り、意味はありません。すべては生きるためにあるのでした。私たちは今、社会を形成して、その中で生きています。人間生活を営む上で知識は必要です。だから勉強一般を否定できません。人間の尊厳を失うことになります。
社会には亦、社会契約があって、自由の一部を差し出して国家を形成しています。それが現代民主主義の大前提です。それなくしては野蛮であり、弱肉強食となります。つまり、善悪を無視した虚偽とバイオレンスの恣となります。それは人間あるいは人類の選択として拒否しているのです。そのあたりの人権的なことを知らずに、勝手している方々がいます。芸能人の中にもいます。
法律を守るというのは人格表現です。何もかも自由ではありません。その辺りを公器としてのテレビ界は反省する頃です。そして本当に豊かで自由な社会を作っていかなくてはならない時となっているようです。
ある本を読んでいると、明治維新は若者のパワーが幕藩体制という古い仕組みを壊し、新しい近代国家を作ったとありました。しかし今も昔も変わっていないといいます。つまり、かつての幕府が政府となっただけで、越後屋にあたるのが悪徳企業だといいます。何れにしても、今の世の中は明治維新に等しいという認識があります。
歴史は常に、腐敗が極限に達して変革をもたらすのでしょうか。鎌倉幕府の成立も関ヶ原もそうであったのでしょうね。そしてこの度は静かに進行しています。その流れは確かなようですね。
時代は限りなく進化します。生命としてどのような生き方をしていくのでしょうか。その進化傾向があります。それが時代の流れであり、時代を形成するのは、万物の霊長としての人間のこころです。こころで思ったことが実現するのです。
強い信念となれば、勇気も当然となります。未来は常に未知です。しばらく巧妙な欺罔的利益追求の世の中でした。しかしこれでは幸せにはなれない。本当の幸せを求めて私たちは生まれています。過去に失敗があり、それを少しの修正をしながら、未知なる未来を拓いていくのです。
何時の時代もそうでした。ショパンもリストも革命の人でした。ミケランジェリは大脱走をしています。かつてフランス革命はギロチンがありました。やがて市民革命も名誉革命となりました。日本に於いても江戸無血開城がありました。平和はヒロシマを通して学んだといえます。故に先進諸国家間での核兵器の選択は事実上ありません。それを使用すればどうなるか知ってしまったのです。水爆が4つあれば、日本は壊滅するほどであると聞いたことがあります。
人類は限りなく愛と平和を求めています。それが人類の祈りです。流血なくして平和を勝ちとることが未来の夢です。それを実現する頃となったのでしょうね。何時までも越後屋の利益のために騙されることはないのです。
自己利益追求である限り、弱肉強食であり、餌食とされていたのは正直な人間でした。それに乗じてテレビ界もありました。それがセレブですか。本当の幸せは何処にあるのでしょうか。周りが幸せである時、その中の自分も必ず幸せです。愛とは自分のためにしないことでした。お互いに尽くし合えばいいのです。
大企業の製品も信用できなくなった昨今です。エコ冷蔵庫も嘘でした。何処に智慧を使っていたのでしょうか。あまりにも欺罔的な利益追求の世の中となっていますね。公正取引委員会の出る幕が多くなっているようです。
嘘とバイオレンスはゆるされません。人間社会の掟です。しかし野蛮な目をしている方々が多いですね。見える人は見えています。見えない人は見えない。何が見えていないのでしょうか。見える人が活躍する時代となったのでしょうね。
そして明治維新は若い人たちによって推進されました。時代を変えることが出来るのは常に若い人のチカラです。そして時を要します。今、その時ですね。若いということは年齢だけではありません。時代をよりよきモノとすることを願う気持ちです。