幸せはあなた次第
彼はいいます。真実とは神仏の実在であり、その受容祝福守護だった。そして日本は本来神国だった。どういうことだったのでしょうか。それは自覚を要します。
そして本来の自分を見つけて自分に素直になって生きていくことでした。その時の自信は絶対です。不安はありません。恐怖もありません。疑惑もありません。勇気は当然となります。日々の実践は自分のためではなく、民のためとなります。それが大義名分でした。
大義名分とは祖先の総体の受容だったのです。その時、神風も吹くのです。それが亦、征夷大将軍の要件でした。制するべきは何だったのでしょうか。己のこころだったのです。
それが武将でした。故にやさしいのです。強きが故に。しばらく見失われていました。失われていたのは日本の本懐です。それは武士道に結実していたのです。それが本来日本武士道精神でした。武士道は死ぬことと見つけたりは本当だったのです。
そしてそれは、自らの魂を仏のこころに合わせるとかいわれます。それは、如来です。むしろ、神仏のこころが自らの魂に宿るのです。自らの魂に何が宿るか。それが大切です。多くは何が宿っているのでしょうね。
多重人格の問題があります。生きるためにという言い訳を以て手段を選ばない女衒的商人根性の問題があります。人生如何に生きるべきだったのか。思い出す頃となりました。日本人として。
自覚を要します。そして選択するのです。全うに生きることを。全うに生きて生きられないならその第一号となれといったのは北一輝氏でした。常に問われています。知性も身分に安住して怠惰だったですね。
知らずに自分を正当化していましたね。しかし天はすべて見ています。あなたのこころを。そして時が訪れるのです。その時、すべてを知るでしょう。あなたは今、幸せですか。
何を以て幸せですか。不安はありませんか。未来は明るいですか。幸せになりましょうね。
本来日本の目指していたものがあります。それは生命の進化傾向と一致していたのではなかったでしょうか。ペリー来航で西洋化こそ急ぐべきと思われました。確かに物質レベルではその必要がありました。その文脈で悲しい戦争もありました。民を犠牲にする戦は本来日本の戦ではありません。故に神風は吹きませんでした。
しかし、第一次世界大戦で航空機が爆撃に使用されることが始まり、戦争は無差別大量殺戮の時代となりました。その反省も空しく、第二次世界大戦では原爆の使用がありました。根絶やしの思想に基づきます。戦争法の観点からは明らかに違反です。しかし勝てば官軍です。それも本来大和の例えば敵将の逃げ道は確保する戦(いくさ)理念ではありませんでした。民のために天下泰平という戦の目的があったからです。大和心の本質は自分のためではありません。それが亦、公共性の概念に結実していました。武士には少なくとも精神修養があったからです。
そのようにして日本も野蛮な下級精神に飲み込まれたかと思われました。本来日本の精神はそうではなかった筈です。泣いて馬謖を斬るともいわれます。市民を盾とする原爆を以て現代戦争は無価値となりました。沖縄戦もそうでした。そして平和を学びました。
市民革命も流血のフランス革命から始まり、名誉革命となりました。日本に於いては江戸無血開城もありました。一人ひとりの命は地球より重いという理念も採用されています。平和も流血なくして勝ちとることが人類の夢となりました。
限りなく進化しています。生命の進化傾向があります。時々の選択と決定があります。本来日本は何処へ行くのでしょうか。世界の中で。
宇宙にとって精神と物質は同じでした。現代素粒子理論の帰結です。そして科学のレベルで、魂に関する事象を語りはじめています。政治が愛を語りはじめました。人類の祈りは何だったのでしょうか。アメリカの祈りは何だったのでしょうか。
思考は実現するメカニズムも明らかとなりました。それがマーフィー理論でした。あるいはアンドリュー・カーネギー氏の遺産でした。幸せになりましょうね。それはあります。
かつて王侯貴族の自由が庶民のモノとなりました。しかし戦うべき敵はあります。最終最後最大の敵は自分自身でした。こころの時代です。こころを制して幸せとなります。やさしくなれます。そして他の幸せを祝福するのです。お金も祝福するのです。幸せもお金も喜んで貰えるところにやってきます。自分次第だったのです。
そして取りもどすべきものがあります。失われていたのは精神でした。精神と物質のバランスを取り戻すのです。すべての事象に善と悪があります。精神もそうです。こころもそうです。自らのこころに何を招き入れますか。神仏ですか。鬼ですか。
幸せはあなた次第だったのです。知らなかったですね。探そうともしなかったですね。それも仕方ありませんでした。知らなかったのですから。
罪を憎んで人を憎まずということがあります。存在を憎むのではありません。それは根絶やしの思想です。存在を憎めば恨みとなります。存在を誇示すれば妬みとなります。恨みと妬みはいつか仕返しに来ます。その時には勝てません。
第三者の名を挙げてほめてもいけないと法華経にありました。これはなかなか理解できませんでした。ほめることは良いことだと思われたからです。ある時、気づきました。それは目前の相手を相対的に貶めることになるのです。常に相手を思いやることです。相手を傷つけないことです。相手から奪わないことです。相手を生かすことを考えるのです。その時、幸せを知るでしょう。
みんなそれぞれに生きています。同じ姿をしていても色々な花があります。それで良いのです。それが本当の平等です。それぞれに咲けばいいのです。そのために生まれていました。それはそれぞれの才能を生かしてそれぞれに十全に生きていくことでした。それを見出すことが教育の目的でもありました。画一的教育が無価値となりました。
そして往々にして嘘とバイオレンスが跋扈横行勝手します。あるいは自信が失われています。解決するべき問題が見えてきましたね。ビジョンも見えてきました。これからですね。みんな幸せになりましょうね。なって良いのです。その方法も見つかったのかも知れませんね。
目的が定まれば手段はいくつでもあります。筑間先生に教えて頂きました。それが法律の解釈論の実践でもありました。裁判に於いて最も大切なのは事実認定です。
目的は何でしょうね。目標を明確にすることがビジネスに於ける成功への第一歩でした。私たちは何故生まれたのでしょうか。その目的は何だったのでしょうか。自分のためにすることではなかったはずです。自然の中で生かされています。自然を征服することではなかったはずです。決して自然を破壊して顧みず、自らの利益とすることではなかった。
万物の霊長として、私たちは創造性も賦与されています。第三の波は情報化の波でした。第四の波は創造化の波といわれています。二十一世紀となりました。こころの時代といわれています。私たちの時代です。始まりました。
何を選択しますか。何をあなたのこころに招き入れますか。幸せはあなた次第だったのです。あなたの頑張っている姿は何時も見られています。その姿を見て天の助けが来ます。ブログとホームページの更新を日々することもそれです。意味のない欺罔的更新では天の助けはありません。