始まりとなりました
随分と思索したことだった。はじまりは2005.11.26だった。意を決してのことだったろうか。それほどでもなかった。その間、人知れず確認していたこともあった。重要な仕事もしたのかも知れない。誰も知らないのだけれど。それは何だったのだろう。秘密に属するのかも知れない。月の砂漠だったのだろうか。それも懐かしい。不思議な人生だった。色々なことがあった。誰もがそうしたものなのだろうか。そうかも知れない。そしてそれは、自己確認であり、自己改革だった。本当の自分を見つける旅だったのだろうか。そろそろ見つかったのかも知れない。自分はなりたい自分になるとアール・ナイチンゲール氏はいう。もういいのだろう。激しいモノがあった。それを鎮めなければならなかったのだろうか。それは何だったのだろうね。もう良いね。始まりとなった。何が始まるのだろう。表現だろうか。存在確認は終わった。そして自己変革の方向性は定まった。自分は自分で良かった。この人生に感謝しよう。生まれて良かった。これほどの幸せがあったなんて、驚いている。伝えるべきことがあるのだろう。誰もが感じていても、表現できない何かがあるのかも知れない。表現に耐える内容であるのかどうか。時期尚早であるのかも知れない。そのように思われたりもする。しかし既に多くの事実がある。誰も知らない事実がある。もはやキティ・ホークではないというのもそれだった。父はカムチャッカにいた。復員して網走で何があったのか。凡そ見当はついている。刑事でもしていたらしい。予科練の教官もしたという。定かではない。しかし、家にはケンパスと絹の紐で出来た真っ新なパラシュートがあった。父が何を自覚していたのだろう。祖父もである。父はいった。お前は大丈夫だ。私の子だ。私もお前と同じだった。何が同じだったのか。今更である。それ以上、何も聞いていない。家には不思議なものがたくさんあった。何時か気づくためだった。何に気づくのだったのか。試練があった。とてもこの世での解決はないかと思われた。それも解決したのだろうか。学生の頃の懐かしい人がいった。「長い冬でしたね。寒くはなかったですか。私は平凡な人生でした」。もはや自覚したのだろうか。何を自覚したのだろう。宮島の要害山では、ある立て札があった。『今伊勢神社』。この人生は何だったのか。マークされていたのかも知れない。知らなかったのは私だった。それならそれで良い。怖かった。不安だった。それも当然だった。何処にも教科書はなかった。しかし何時か解かねばならない謎があった。それと格闘するには時が必要だった。何もかも失った。奪われたのかと思われた。そうでもなかった。そうしなければ解けない謎があった。何も失われてはいない。梅は咲いた。櫻も咲いた。日本の春である。枯れた櫻に花が咲いた。花は何処へ。すべてはメッセージだった。感じてはいた。これほどまでとは思わなかった。これほどの感激はない。此処まで辿り着いて良かった。生まれて良かった。生きていて良かった。本来日本は滅し給わず。誰もがいえることではない。苦節三十有余年、無駄かと見えた。そうでもなかった。この世は素晴らしい。日本は復活した。この度は無敵である。代々の務めは果たした。一休髑髏ご用心。義経がいなくても源氏が勝っていた。征夷大将軍の要件は何だったのか。自分のためにしない。それが愛だった。あるいは大義名分だった。その時、神風も吹く。本来日本の目指していたものがあった。それはそのまま生命の進化傾向と合致していた。それをも破壊した。下級精神は恐ろしい。それが明治だった。本来日本が培っていたモノがあった。それが武士道に結実していた。それをもお笑いにした。しかし世界は気づいていた。スター・ウォーズのテーマがそれだった。勝手な解釈がまかり通っている。何時までもゆるすわけにいかない。日本は日本である。世界も待っていた。日本がかの大戦から何を学び、何を選択し、何を提供してくれるのか。誰もそれを知らなかった。中国の首脳はいった。戦後処理は次世代がする。その時が来たのだろうか。そして何を選択し、何を提示したのだったか。既に記録がある。精査されたい。本来日本は滅し給わず。世界に合流する。もはや勝手は通らない。主権在民、国民主権。憲法制定権力もある。地蔵菩薩は空閑=荒野より涌出する。しばらく眠らされていた。この花咲くや姫の糸車の針は抜かれている。……こうしたことを抱え込んで生きていた。馬鹿馬鹿しいね。何時までも抱え込んでいるだけで、それでそのまま終わるのだと思われた。しかしこれは呪縛だった。何時かこうした呪縛から逃れないと自由はない。中途半端では自由になれない。そして何時か取り組まねばならなかった。抱えたままの三十有余年があった。それは孤独な旅だった。このような思いがある限り、日常の幸せはなかった。そしてそれで良いと思える時が来る。そのために取り組んだのだったろうか。発表の場を求めていたのだったか。ブログの存在は救いだった。ひとりごとのような日々があった。そして書く度に明確になっていった。やがてそれが正しいと思われるようになった。表現することによって自分にしか聞こえないメッセージがあった。以前にもあったが、より明確となった。何かが喜んでいる。そのように思われた。それは何だったのか。祖先の総体だったのかも知れない。あるいは亡霊といっても良いのかも知れなかった。彼等は存在している。そして認めて貰いたいと思っていた。そしてそれを表現してくれるかも知れないところに集まる。そうしたことだったのかも知れない。そして彼等は認めて貰えることが出来た時、成仏する。そのように思われた。彼等を救ったのかも知れない。そのように思われた。そしてこの旅は終わる。終わりは終わりではなく新しい始まりだった。本来日本を取り戻す。その思いはこのようにして始まった。そして確かな始まりとなったのだろうか。タイミングを要する。今しかなかった。そして掬われたのだと思う。長い冬だった。春はこうして来るのだった。自然の中で生きている。宇宙にとって精神も物質も同じだった。自然も生命も同じだった。私たちは人間である。生命体のひとつである。生命体として進化した。かつては何だったのだろう。その成長過程は植物と変わりはしない。すべてそうだった。宇宙も呼吸している。生きている。魂だってそうだった。魂にも秩序がある。精神にも秩序がある。貶めてはならないものがあった。取りもどすべきものがある。それは何だったのだろう。本来日本の精神だったのだろうか。取り戻せたのかも知れない。しばらく生きる空間はなかった。ないのであれば、取り戻すしかなかった。そして目的を果たしたのだろうか。故に終わる。そして新しい始まりとなりました。やっと卒業式を迎えることが出来たのだろうか。高校の卒業式には出席できなかった。十九の春だった。その頃、祖父は他界した。その後、どのような人生だったのか。三十有余年の空白があったのかも知れない。そしてつながったのだろうか。現実回帰したのだね。もう、これで良いね。さて、夢は実現する。思考は現実化する。二千年来の物語が完結した。未来に伝えるべきことがある。それは何だったのだろう。本来日本は神国だった。取り戻すべき日本がある。このような人生もある。そして自由となる。不安はない。怖れもない。疑惑もない。日月照らし、風が吹く。大和魂とは、身心清浄及び正直を以て旨とする。それは今もある。嘘とバイオレンスが蔓延った。腐敗堕落が大人ではない。バカになることが幸せではない。幸せとは何だったのか。真実とは神仏の実在だった。神仏との邂逅と神仏の受容祝福守護こそ幸せだった。それはある。カンニング的文化が蔓延っていた。それで閥を成した。何時までもそれは通らない。記録はすべて天にある。アカシックレコードともいわれる。あるいは三途の川の浄玻璃の鏡である。神仏にも好みがある。祖先にもある。神仏及び祖先に好かれる自分となって、はじめて気づくことがある。導かれている。あるいは生かされている。使命がある。それは何だったのか。大切に育まれていた。裏切るわけにはいかない。愚かさより脱却する。本来日本は野蛮ではない。知性が復活する頃となった。知性もある意味で怠惰だったね。象牙の塔の中で安住していた。あるいは権利の上に眠っていた。それも出来なくなったね。