好きだから出来るよね

ダーツを目指すと青年はいった。ダーツを極めてみたいと。何時かアメリカの世界大会に出場したいという。夢は途方もないくらいの方が実現する。彼の目は素直に輝いていた。此処に至るまでの苦難があった。自信もなかった。夢を語れば世の大人に相手にされなかった。そしてそのようなことは考えずに、真面目に勉強しろといわれた。それは大人の経験に基づく。彼には通用しない。彼は実現するだろう。今までは負けていた。これからは負けない。学科勉強は可能性の一つでしかない。学科勉強の得意な人が学科勉強をすればいい。ダーツが得意な人はダーツをすればいい。そしてその道のプロとなればいい。当然ダーツ理論は勉強するという。好きだから出来るよね。彼はモチベーションという言葉を使った。好きなことをすればいい。やりたいことをすればいい。そして生きていく。それが可能な時代となった。夢は実現する。思考は現実化する。明るく、楽しく生きていく。好きなことをすればいい。好きだから出来るよね。私たちは幸せになるために生まれてきた。父を知らない子が多い。母を知らない子が多い。子供を見捨てた大人が多い。平気で不倫もし、浮気もし、そして離婚する。子供の悲しみは深い。どうしてそのような時代となったのか。それが自由だったのか。何か間違っていた。多重人格者とか同性愛者とか。何かがおかしいね。どうしてそのようになったのだろうね。それも日本精神骨抜き占領政策だったのだろうか。そうであるなら、それに乗じた繁栄などゆるしはしない。浮かれた時代に用はない。新しい時代を切り開く。親に見捨てられた若者達の特権として。真面目な時代を開く。本来日本が目指していたものがある。お金に支配されはしない。

ロマン・ロランによると、ベートーベンは苦悩の英雄だった。彼のピアノ・ソナタは彼の魂の遍歴の記録といえる。やがて彼は、第二十九番ハンマー・クラービアを境に喜びの世界に入った。第三十番から第三十二番はまさに喜びの歌だった。人間として目指すべき幸せは何だったのだろうか。喜びの世界だった。それはある。桃源郷もそうだった。般若心経のギャーティもそうだった。涅槃といっていい。その時、何を知るのだろうね。どのようにして至るのだったか。棚ぼた式には至れない。それだけの修行を要する。ベートーベンもそうだった。思索も修行だった。それなりの質と量を要する。何れにしても、我のチカラに非ずだった。人生に於ける最大のご褒美として、何時か如来がその手で頭を撫でてくれる。その時が来る。誰にも来る。何時か来る。そして知るだろう。喜び世界はある。それが人生の目的だった。生まれた時に約束がある。それは何だったのだろうね。仏さんに出逢って知るのだろうね。

自信の回復

自信を持って生きていこう。何も臆することはなかったのです。山より大きな獅子は出ない。心配しなくて良いのです。必ず解決はあります。冷静に観察し、あるがままの現実をすべて肯定できるようになると、その都度正しい判断があって、問題を解決することが出来ます。解決できない問題なんてないのでした。不安からの自由はどのようにしてなされるのだったでしょうか。自信の回復です。自分が本来の自分を取り戻し、それをあるがままに受け入れ、それでよしと思い、感謝することが出来る時、自信は回復します。今のあなたで良かったのです。