夫婦の幸せの要件

幸せって何だったのでしょうね。自由ですね。時間的自由。経済的自由。そしてこころの自由。誰もが一番欲しいモノって何だったのでしょうか。それは愛のある関係でした。

愛は何処から生まれるのでしょうか。相手に対する憐憫でしょうか。それもあるでしょう。本当の愛は、尊敬する気持ちとツイを成しています。その時、何もかもが自由となります。何をされても良い。何をしても良い。その時、愛し愛されています。お互いに尊敬がある。だからゆるしゆるされる。それが愛でした。

不幸は何処から来るのでしょうか。愛し愛される関係がないところから来ます。どうしてそれがないのでしょうね。尊敬がないのです。尊敬はどこに生まれるのでしょうか。美貌でしょうか。経済的優位でしょうか。美貌は飽きます。一生飽きない美貌なんてありません。こころはお金では買えません。愛はこころでした。

そしてもう一つ大切な要素が知的バランスです。それは学科的な知性ではありません。何を以て知性というべきでしょうか。人間性的要素に対する理解が人間的知性です。

具体的に何が人間的知性でしょうね。議論に勝つことですか。相手を傷つけてしまいます。相対的に相手を貶めます。それは何時か恨みあるいは妬みとなって仕返しとなります。これでは不幸です。

さて、人間性は心の豊かさでした。それより発する知性です。その時はじめて知性として輝きます。文学的知性もあります。音楽的知性もあります。知性は限りなく芸術的となるのでした。

ピカソだったでしょうか。晩年には私室にセレブマダムを招いてモデルになって貰い、女性の何を描いていたのでしょうね。その辺りもゆるされる関係があります。それで良いのです。それも幸せの要件です。そうしたものです。

公に関することで、事実の摘事であれば名誉毀損とはなりません。しかしプライバシーとしては保障されています。同じ表現であっても、全体の趣旨から芸術的であれば合法であり、専ら傾向犯的であれば犯罪です。それは人間性の問題です。

ゆるしゆるされているのかどうか。それを勘違いしているのがセクシュアルハラスメントです。そしてその辺りが満たされなくなると、一方的なドメスティックハラスメントに発展します。これは野蛮です。あるいは愚かです。あるいは下品です。社会の最小構成単位は家庭です。家庭の場で愛が育成されるのでした。

夫婦関係がさめているのは何故でしょうね。嫌われるのは何故でしょうね。何が嫌われていたのでしょうか。人間性でした。相性の問題はこれだったのです。恋から愛へ。それは共に育むモノでした。

そして修復できない場合もあります。その時には破綻として関係を解消することになるのでしょうか。幸せはあります。愛し愛される関係です。ゆるしゆるされる関係です。尊敬し合う関係です。それは人間性でした。そして品格でした。あるいは知性でした。

そして大切なのはその感覚の相性のレベルバランスでした。レベルにギャップがあれば、それが不幸の原因だったのです。やさしくなりませんか。それを表現しませんか。信じ合えるかどうか。それがすべてです。

本来の自分となって自分に素直になって生きればいいのです。その時、ぴったりの関係がはじまります。花咲く時、蝶が来ると良寛さんは詩にしています。幸せになりましょうね。おしどり夫婦って、良いですね。きっと、ラクですね。