良い警察官
最終ゴールは何だったのだろうね。笑顔だった。一人でも笑顔でいることが出来ることだった。何故一人でも笑顔でいることが出来るのだろうね。神仏との対話が成立しているからかも知れない。神仏との対話がある時、不善を念じることはない。その時、自信がある。自信がある時、勇気も当然だった。武士道は死ぬことと見つけたりもそうだった。自分への自信を取り戻すことが、本来の自分となることだった。こびることはない。迎合することもない。世間の評価は不思議である。自信を取り戻すことで信頼は回復する。信頼も自分次第だった。本来の自分になればいい。自ずから人生は開ける。待てば海路の日和あり。さて、笑顔には不思議なチカラがあるという。免疫力が調えられて、やがて副交感神経優位となるという。つまり、リラックスだ。笑顔はいいね。
昨日ある警察署へ出掛けた。遺失物が見つかったので、その報告だった。ごっつい警察官が対応して下さった。しかし如何にも警察官だった。笑顔で試みるが、何かを疑っている態度が緊張感としてあった。どうも事務は苦手のようだ。それでも気にせずに申述した。本人発見ですねと内容を大きすぎるくらいの文字でメモして下さった。申し送りであろう。別れ際にご苦労様といって下さった時、若干緊張感は解けたようだが、大きく見開いたその目はついにゆるまなかった。警察官は誠実に毅然としていた方が良い。良い警察官だなと思った。警察は行政である。
この世は火宅である。どうもそれも事実である。その中でどのように生きるのか。生まれた意味は何だったのか。蓮華の前に化生する。それも覚悟だった。あるいは自覚だった。どんなことがあっても悪はなさない。それだけの思いはあるか。日々の実践で人生は決まる。気づいた時には遅い。それを知らない。知らずに勝手している。何時か気づく。その時に己を知るだろう。祖先に恥じない自分でいることだ。自分に都合のいい人がいい人だと思う世間に迎合することはない。信念は枉げないが良い。瀬島龍三という方もいた。魂と宇宙は連動している。日月照らし、風が吹く。もはや勝手は通らない。日本が目覚めた。浮かれた方々の支配は終わった。勘違いしていた。思いあがっていた。本来日本に秩序がある。履き違えた自由は自由ではない。女衒に用はない。常に自分のためにする欺罔的商人根性に用はない。
笑顔は良いね。一人でも笑顔でいることが出来る時、幸せだね。究極の幸せは何だったのだろう。神仏との対話だったのかも知れない。本来日本は滅し給わず。知るべき時が来たのだろうか。生きていて良かったね。生まれて良かったね。私たちは過去の失敗を少し修正して幸せになるために生まれてきた。自然の中で生きている。根絶やしはない。野蛮ではない。愚かでもない。未来は明るい。 昨夜のテレビ番組でこのままでは日本の未来はないという。未来に夢を描けない方々が製作したのだね。その傾向が本来日本に対する罪だよ。不安を煽ることしか知らない。それがジャーナリズムだと思っている。真実開示の時かも知れないね。今日も良い日でありますように。
ところで、刑事政策ということがある。覚えているのは被害者学だった。講義の中で、保護司は特別職公務員と知った。犯罪学というのもあって、決定論という理論もある。人間は生まれながらに犯罪傾向を持っている方がいるとする。しかし通説は何処までも人間の自由意思を尊重しようとしている。犯罪に対しては罪を憎んで人を憎まずとする。そして常に引き返すべき黄金の橋が架かっている。それを敢えて実行することで処罰の対象となる。刑法はどこまでも人間的であると習った。そして刑事訴訟法の論理的美しさは三島由紀夫氏も垂涎の的だったろうか。三島由紀夫氏というと、小学校六年の頃には広辞苑を読破していたという。彼が割腹事件を起こした。『天人五衰』だったろうか、その原稿を届けてそのまま盾の会として動いた。誰もついてこなかった。彼はむしろひ弱な体格だったという。それも鍛えたのだった。そしてどうしてあのようなことになったのだろうか。その背後に失恋はなかったか。誰との失恋だったのか。今は問わない。ある高裁長官が講義の中で仰っていた。裁判所も社会の縮図である。いろいろな考え方があって良い。それで三審制が保障されている。さて、履き違えた自由がある。全共闘的自由である。それが時代を席巻していなかったか。迷惑したモノもいる。取りもどすべきものがあるという。気づくべき頃である。本来日本は那辺にあり哉。今も昔も変わりはしない。デタラメな世の中となった。政財官、悉く自分の利益のためにしている。本来日本精神はそうではなかった。覚悟するべきである。日本は商人国家ではない。既に天は知っている。彼が何を自覚し、何を思っているか。本来日本は滅し給わず。時を要した。故に真実である。何時か時は来る。その時は遅い。各々、首を洗って待つが良い。彼はいった。この世はジュピターのさじ加減である。但し、爾の自覚を要する。行きはよいよい、帰りは怖い。もはや勝手は通らない。何時の代もそうだった。代々の務めがあるという。風神草薙剣、雷神金剛杵は実在する。空海はそれを知っていた。聖徳太子もそうだった。四天王=神を使った。故に道元は空手にて帰朝した。一休は印可状を破り捨てた。彼はいった。日本の色を塗りかえる。