幸せの秘密
日々、おだやかに暮らしてゆけると、それを以て幸せといえます。無事是貴人ともいわれます。
情報とは何だったのでしょうか。情報にも色々あります。情報は価値ある情報である必要があります。価値があるということは富の源泉となる情報です。情報は発信したところに集まるといわれます。それを自ら主体的に取捨選択し、利用する時代ですね。惑わされないことです。価値ある情報は何処から発信されているのでしょうか。消費者の好みが個性的に成熟し、より主体的となりました。
それぞれの花があります。人間においては個性です。平等とは機会の平等であって、結果の平等ではないといわれます。それぞれの花を咲かせることが出来るといいですね。何時か必ず咲きます。生まれたからには咲きます。咲いてはじめてその花が何であったかを知るのです。咲かせましょうね。良い時代となりました。
世界はデフレと不況の嵐が吹いています。この度の不況はこれまでの理論では説明できなくなりました。何故でしょうか。お金があっても不況です。それはモノ余り、人余りを原因としています。第三の波から第四の波へと時代の転換期ですね。第三の波は情報化でした。第四の波は創造化といわれています。それは明確なビジョンを伴う目的的かつ芸術的時代への移行でしょうか。そして限りなく個々の幸福を追求するのです。それは日々の暮らしでした。
中国が世界の工場となりました。工場で生産可能なモノの生産には人件費の問題があります。工場である限り、画一的大量生産です。如何に安く作るかというコスト管理が重要となります。その時、労働者は消費者です。中国のすべての国民が中産階級化されるまでに100年はかかるといわれます。その間、潤沢な労働力が供給されます。単純労働の担い手として。工場生産である限り、中国の優位が保障されています。
これより頭脳労働者の時代となり、彼等には無限の可能性が開かれています。単純労働者にはセイフティネットでしょうか。彼等はそれ以上を望んではいません。朝三暮四ということもあります。猿を騒がせてはならないのでしょう。民はよらしむべし、知らしむべからずともあります。立場による解釈は色々とあるでしょう。しかしそうとしかいえないようにも思われてきます。議論のためにする破壊的議論は野蛮な国家を形成します。国会の自戒があってしかるべきではないでしょうか。議論の目的は何でしょうね。破壊ですか。建設ですか。
学問はするべきです。自分より上は見えません。見えないことを以て否定します。しかしそれはあるのです。その意味で謙虚さを失って久しいのではないでしょうか。衆愚を導いて利益となし、それ一色に染めたテレビ界の懺悔が此処にあります。懺悔とは壊したモノをもとに還すことです。日本をどのような國にしたいのですか。その辺りを明確にしませんか。お金がすべてですか。ハッキリとさせるべき時が来ているのではないでしょうか。混迷の今がチャンスです。
さて、人件費の観点からは先進諸国家は中国に太刀打ちできません。それでより文化的なものを目指します。高度技術を要するモノあるいは芸術性を要するモノの生産でしょうか。その時、工場生産的ではなくなり、より人間的なモノを目指すのでしょうか。その時、ゴッドハンドあるいはゴールドフィンガーとしての職人気質がものをいうのでしょうか。いよいよ、器用勤勉な日本の精神を伴う技術力の復活ですね。本来日本の精神の本質は那辺にあったのか思い出す頃です。大和魂とは何だったのでしょうか。即ち身心清浄及び正直を以て旨とするのでした。決して商人根性ではありませんでした。良いものは良いのです。美しいモノは美しい。伝統工芸品の価値が見直されていくのでしょうか。世界は未だ知らないのかも知れません。ゴッホも憧れたかつての浮世絵のように。職人気質というモノがあります。それは仕事を通して磨き抜かれた魂です。作品にはその魂が手から移入されます。その時その作品からある周波数を発します。それが芸術性であり、人間性の秘密です。限りなく癒しが周囲に伝搬することでしょう。これから求められるべき価値の一つとなるのではないでしょうか。笑顔も同じ人間性の表現ですね。周囲を愛の周波数で満たすことが出来ます。愛とは動植物及び岩石も喜ぶ宇宙の周波数といえます。仏の慈悲といって良いのかも知れません。キリスト教においてはアガペでしょうか。人間は魂として限りなく愛とやさしさを求めて進化しているのでしょうか。何時かそうした日常に至り着きたいですね。自分のためにしないことが愛でした。
笑顔でいると幸せになれるといわれています。幸せだから笑顔になれるのではないといわれます。笑顔でいるから幸せがやってくるのです。斎藤一人さんはこれを「ツイている」といいます。鈴木大拙氏は「妙好人」こそ掬われた姿だと指摘しています。パスカルは神がいる方へ賭けてみては如何かとしています。
本当に素直になれるといいですね。その時、すべてを知るでしょう。何を知るのでしょうか。「この世は血塗れの世界ではない」と書いたのは吉田健一氏でした。さらに「住む世界がないなら、自分で作るしかない」ともありました。『思い出すままに』の中でのことだったでしょうか。
私たちは何か失った大切なものがあります。宇宙にとって精神も物質も同じでした。しばらく物質偏重の世の中でした。その代表がお金です。お金のことで自殺する方もいます。悪い人と銀行が結託して不渡りを以てターゲットの会社を倒産に追い込むこともあります。ある業種でパイが小さくなった時にそれはあります。餌食になることはないのです。お金の支配が始まってまだそれほど歴史は流れていません。せいぜいカルバン以降のことでした。人類の歴史は遙かに古い。その間、目指していたものがありました。蓄積された英知もあります。チラノザウルスが現れる頃に恐竜は滅びました。しかし既にネズミはいました。常にノアの箱船は来ています。見えるかどうか。信じることが出来るかどうか。日本は本来神国でした。真実は神仏の実在だったと彼はいいます。掬いは常にあるといいます。
何時も笑顔でいることが出来るといいですね。形からはいることも出来るといわれます。その意味では世のお笑いも評価できるのでしょうか。しかし悲しい目をした演技としてのお笑いが笑いであるのかどうか。お笑いは笑いというモノがあることを示す化城としてのお笑いではなかったのでしょうか。笑いは人間にしかありません。万物の霊長として授かったチカラのひとつでしょうか。真実の笑いがあるのです。朝になって日が昇れば夜の星は見えなくなります。笑いも進化します。真実の笑いを目指す頃となりました。化城は何時か出なくてはなりません。それで利益する時代は終わりました。皆が幸せになってはじめて幸せです。笑いとか教育とかで利益する時、本来の目的がすりかえられていたのではないでしょうか。
笑顔でいましょうね。おだやかに暮らすことが出来るといいですね。それは出来るのでした。21世紀はこころの時代といわれて久しいのです。やっとその実質が見えてきたのでしょうか。既に至った方々がいます。謙虚に耳を傾けませんか。そして彼等を祝福することからはじめましょう。潜在意識にとって主語はありません。述語が本音として動きます。彼等の幸せを祝福することは、自分の幸せを祝福することでもありました。幸せもお金も祝福されるところに集まります。幸せになりましょうね。そして豊かになりましょうね。それが人類の夢でした。壊してはならないものがありました。貶めてはならないものがありました。傷つけてはならないものがあったのです。知る人は知っています。掬いは常にあるのでした。愚かさの支配からの脱却の頃です。法華経に「是を以て貿易(むやく・むしゃく?)するべし」とある是こそ笑顔でした。そしてアンドリュー・カーネギー氏は明確な目標とマスターグループこそ成功の要件であるとします。その時、あるべき心構えをいいます。それも笑顔でした。愚かな笑顔ではありません。あっという間に見抜かれてしまいます。知性を伴っているかどうか。是に気づく時、掬いは常にあるのでした。ユーモアもそれでした。それを担保するのがペーソスでした。しかし悲しい目をしているのではありません。それがウィットであり、ワーズワースの世界もそこにあるのでした。浮かれた時代は終わりました。本来の故郷を思い出す頃となりました。それは遙かなる古鏡でした。彼に春が来たのでしょうか。長い星霜に耐えたのですね。お芽出度う。こころから祝福します。取りもどすべきものがあるといっていましたね。壮大な胡蝶の夢があったのですね。表現することでそれも明らかとなったのですね。ありがとう。すべてが意味を持つ瞬間が来ます。パスカルにおいてはそれがメモリアルでした。そしてこれからも君と一緒に遊べるといいですね。気づく人は気づいています。世の中に気づいて至る本当の幸せの秘密があることを。
我と来て遊べや親のない雀 一茶
昨日、高校の頃の懐かしい友達と一緒に広島空港の側にある『三景園』を歩きました。遠景も景色の一部となっている美しい庭園でした。たくさんの鯉が泳いでいました。Airport Hotel で頂いた食事にじゅんさいもあって、とても楽しい一日でした。家路について急に雨が降り始めました。雷もいくつか落ちました。熊野でしばらく時を過ごしました。それから坂に出て仮眠しました。目が覚めると雨はやんでいました。雨上がりの瀬戸の海の景色がとてもきれいでした。